

DW ストーリー
粗末なドラム教室兼ドラム店から出発して現在の53,000平方フィートの巨大な施設を持つまで、DrumWorkshop社は世界でも影響のある有数のドラムメーカーに成長してきた。DWの歴史は会社の発展ということよりも、ドラムを演奏するだけでは飽き足らなく、よりドラムを魅力的に演奏したいドラマーと共に歩む2人の才能に溢れ、献身的な人間の歴史である。 “私のドラムへの関わりは12才の時、隣の楽器店のドラムの先生とともに始まった。”と、DWの設立者であり社長のDon Lombardiは回想する。“私は何年もの間に多くの先生=ドラムのアーティストでもあるNick Ceroli(Tijuana Brass and LA Studio)、Colin Bailey(Joe Pass and LA studio)、そしてFreddi Grber=の元で素晴らしい経験をして、ドラムの演奏を愛し、ドラムを教える方法を学んで、成長してきた。これがDrum Workshopを始めることになったきっかけなのだ。” 1972年の初め、26才の時、それまでDonはプロとして演奏の経験を重ねると共に3つの楽器店でドラムの教師をしていた。10年近く店での教師を経験、成功したことで、Donはカリフォルニアのサンタモニカで彼自身のドラム教室を始めることにした。彼の目的はその店でドラムの個人レッスンと月ごとの研究セミナーをすることだったので、教室の名を“Drum Workshop”とした。しかし、直ぐに教室をやっていくにはビジネスとして多くの経費が掛かるということを学んだ。 そこで、そうした経費の足しにするために、出資者を募り、他の教師を雇い、スティックや本、ドラムセットを売ることも始めた。結局、Donがドラムを教えている間、パートタイムで店の販売をやってくれる人間が必要になった。彼の生徒の中に17才のJohn Goodがいた。彼が言うには、“自己流でやってきたので随分悪い癖が付いてしまった。そこでもっと上手くなろうと思っていたところで、Drum Workshopの広告を見付け、Donに合ってレッスンを始めた。しかし、あまりいい生徒にはなれなかった。Donがある日私の側に来て、今まで教えた中でほとんど最悪の生徒だと言った。そうして2人で今までの自分のことを考えた” その時から、DonとJohnは2人の共通の興味が、ドラムはどの様に鳴るのか、どうやったら上手く鳴らせるかといったことだと気が付いた。そうして、いつも2人はドラムやドラマー、演奏法、そしてそれらをもっと改良する方法を考えるのに何時間も費やした。こうしたディスカッションの結果生まれたDWの最初の製品はDonがデザインした高さ調整できるトラップケース椅子であった。地道なDWの広告の結果、この椅子を月に十数個は売るようになった。この一寸した成功が、Johnが今までの仕事を辞めて、フルタイムでDonと仕事を始めるチャンスになった。 Donは言う。“1日、ドラムを教えるのが終わると、ドラムセットを端に片づけて、椅子を組み立てるためのテーブルを用意したものだ。結局、私はドラムの演奏の仕事に行くのを辞めることになり、Johnは椅子の注文に応えるために夜中までいることになった。” 1977年までは、Drum Workshopはドラム教室と小さなドラム店に留まった。まだ経済的に成功した訳ではなかったのでDonはドラムの演奏と教師の仕事に忙しかった。もう1人の学生にTom Beckmanの息子がいた。BeckmanはCamco Drum Co.のオーナーでそのドラムビジネスを売却する相手を捜していた。それは彼がRoland USのヘッドになるためだった。彼は、Donが発明家でドラムビジネスに興味があることを知っていたので、Donに、Camcoのドラムとハードウェアを作るために必要な機械設備や型など全てを売りたいと電話した。 この時点から、Drum Workshopは教室と店という立場とは完全に方向が変わった。DonとJohnは、これで、今まで生産されてきたドラムというものを改良していく場所を得られたと思ったのだ。Donは振り返る、“椅子の製作という小さな成功をしたことで、我々がドラマーに、より良い演奏のできる製品を開発し供給できれば、我々は成功できると学んだ。もちろん、好きなドラム作りをすることと、そのための金のことは、別のことだった。”、と。 殆どの資金は彼の両親と何人かの投資家に借りて、DonはCamcoの機械設備を買って、Camco5000のナイロンストラップ・バスドラム・ペダルをDWのブランドで発売した。最初のうち、堅牢さ、静粛さ、スムースさ、そしてペダル操作の調整のし易さについて改良が行われた。DonはDWが“ドラマーが選んだ製品”となるまで、いくつもの改良点を探し続けた。 1980年のチェーン&スプロケット・ドライブシステムの登場は、DWペダルをより良い製品にしただけではなく、ドラムマーケットでDWを際だたせることになった。次に、1983年に、DWはユニバーサルジョイントでユニークな結合方法を使ったダブル・バスドラム・ペダルを送り出した。DWの5002ダブル・ペダルは市場のニーズを満たし、また、DWをマーケットでの開発者としての位置を明確にした。 このシステムは新しい時代を先導した。つまり、 1つのバスドラムに2つのペダルを使うことによって、もっと音楽的で創造的な演奏の可能性がこのときから始まったのだ。80年代を通じて、DWのユーザーでありエンドーサーであるTommy Lee、Jim Keltner。Binnie Colaiuta、Dennis Chambers達は、5500T(回転2足)や5502LB(リモートケーブル・ハイハットスタンド)などのDWハードウェアの開発に協力してくれた。 DonがDWペダルやハードウェアの開発に集中し、また、Johnはドラムのエキスパートテクニシャンとして名声を築き上げた。Johnは言う。“私はプロフェッショナルプレーヤーではなかったけれども、ドラムの音を聞き分ける耳と、それを調整する技巧を持っていた。最後には、スタジオやツアーで、Freddie White(Earth Wind & Fire)、Jonathan Moffett(The Jacksons)、Chad Wackerman(Frank Zappa)などのドラムのチューニングに飛び回ることになった。” 80年代中頃になって、世界的なトップドラマーへのエンドースメント、ディーラーネットワークの拡張、マーケティングキャンペーンを伴って、DWのトップクォリティのバスドラムペダル、ハイハットスタンドのフルラインナップは小さなアメリカの会社にしては特別なポジションを市場で築いた。一方、DWのドラムスも世界の注目を集め始めた。そこでハードウェアの需要を伸ばすのにも役に立つので、カリフォルニアのニューバリー・パークの工業団地に2区画以上のスペースをとってDWの工場を拡張した。 Donは振り返る。“ペダルのアーティストやディーラーからのドラムスに対する要求が始まったとき、ドラムを作るためだけに、次の区画をリースして、人間を雇った。毎月、手に余るほどのドラムセットの生産が詰まっていた。もっと大量のドラムセットを作ることはできるが、それには金が掛かるし、また、どれだけ売れるかも確信がなかった。神に感謝すべきことにペダルの売り上げは未だ我々を潤していた” Johnは言う。“1987年にJonathan MoffetとMadonnaのツアーに同行したとき我々がどんな状況かを聞くために電話した。そこでDonは、我々が新たな出発をすること、私が帰って、会社にいることを告げた。私はツアーによっていい金を得ていたので、それは結構難しい決断だったが、それに賛成し、もう振り返らないことにした。” Donは言う。“1つドラムにチャンスがあると私に確信させたことがある。Tommy Lee(Motley Crue)が我々の店に、彼のペダルをチューンナップするために来たとき、待っている間Johnが持っていたドラムセットに座った。そして演奏を始めたのだが、全然止めようとしなかった。つまりそのサウンドに魅了された。それで、それまでハンドクラフトのカスタムセットのドラムスを経験したことがない人でも直ぐにその魅力に気が付くものだと悟った。その直ぐ後、1989年5月7日、Tommyは我々のセットを買った。そのビッグイベントを覚えている。その時、小切手のコピーを作って今でも持っている。その時は他の会社のエンドーサーだった彼だが、1年後にはDWのオフィシャルエンドーサーになった。” Tommyに始まってJim Keltner、Chad Wackerman、Larrie Londin、そしてその他有名なプレーヤー達を使って、DWは始めてのドラムカタログを作り1990年のNAMMショーを迎え、トップのペダルディーラー達にセットを紹介した。 長い話になるので、話を進めよう。結果、ドラムの製造を販売に間に合わせるために、それから3年間、費やした。圧倒的な我々のドラムに対する需要を満たすことは、DWドラムのどのセットもカスタムメイドであると思われる時、確かに、問題なのだ。 DW製品への世界的な需要の増加の結果、1992年、会社は現在のカリフォルニア、オクスナードに移転した。 この移転から、DWはパテントのデルタ・ボールベアリング・ヒンジを使ったデルタ・トライ-ベアリングペダル・システム、エッジ・ブラス/メープル・スネアドラム、小さいF.A.S.T.タムタムサイズのコンセプト、ウーファ・バスドラム・ト-ンエンハンサー、トゥルーピッチチューニングシステム、そしてバラエティーに富んだレーカー、サティンオイル、フィニッシュプライのドラムフィニッシュを次々と生み出してきた。 今日、ドラマー中のドラマー、SheilaE.、Terry Bozzio、Neil Peart、Matt Sorumをはじめ、Pearl Jam、Hole、Hootie & the Blowfish、Blackstreet、Bushといったポピュラーなバンドのドラマーが DWのドラムス、ペダル、ハードウェアをエクスクルーシブに選んでいる。 Donは締めくくる。“我々の25年間を振り返ると、Drum Workshopは、ドラムを改良してきただけでなく、その改良でドラマーがドラミングを発展させてくれたことによって、成功を納めたのだ。それが僅かなことだが非常に違う点だ。我々が達成したこと全ては、非常な努力をしてきた結果だが、また、我々の家族,ドラマー,ディーラー,素晴らしいスタッフ,私たちと最初から共にやってきてくれた多くの人々が支えてくれた結果でもある。我々は、クォリティ、一貫性、サービスに尽力して我々の製品とイメージを組み上げてくれた人々、その人たちと働けて幸せだった。将来もユニークな我々であるために開発を続けて行くつもりだ。ドラム、ペダル、ハードウェアのスペシャリストとして、ドラミングに結びつく全ての発展のために熱狂的であることに集中して行くつもりだ。 |